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2013.12.20 (Fri)

「醜さを愛せ」-NOTE

現代日本人にとっては「寛容さ」や「許し」こそが大きな試練のようである。

わたしは、積極的な悪を「正義」、消極的な悪を「破滅」と定義したい。結局のところ、正義とは「善の執行」などではなく(しばしば後暗いところのある)自らの行いを正当化するための、便利な方便に過ぎなかった。

もちろん、消極的な悪のほうが積極的な悪よりかは幾分マシだろう。破滅的な振る舞いは自分自身や近しい数人の人間を不幸にするだけだが、正義の名のもとに揚々と行われる事柄は、結果的に共同体そのものを破壊する恐れがあるからだ。しかも、その咎の責任を取れるものは、事が終わった後にはもうだれもいない。悪質な時限爆弾のようなものである。

正義感にかぶれ、社会や他人に関心が「ありすぎる」人々が跋扈する、この現代日本においては、まさに「醜さを愛する」ことこそが重要なのかもしれない。愛するとはまさに、積極的な悪と対極な位置にある行為だからである。


それにしても「好きな人に認めてもらいたくて」突っかかっていたのだとはなー! 裏切りの多いドラマだったから、バスでの別れのシーンでなんとなく読めちゃったよwww









どうやら道玄斎さんと「かめソフト」の人が同一人物であることは確定的らしい。「大先生サマ」が証言していたし。

道玄斎さんは、過去の恋愛の失敗を(それなりの頻度で)引き合いに出すことがある。その「厭な経験」自体には「ご愁傷様」と同情もする。

しかし、過去のつまずきをこじらせるあまりに、「女性には母親のような無条件さで包み込んでもらいたい」、しかもできれば「男性である自分を脅かすような『智慧』を持っていない(伊従嬢子がいうところの「真っ直ぐさ」を体現するような)少女に」、と夢想する(様を堂々と開陳する)のは、ちょっと塩っぱくないだろうか。

「女性に裏切られて、なんてカワイソウなボク」というセルフイメージは、本人的には気分が良いのかもしれないが、若干どころではなくサブい。なんか尊敬できないよなー。







例えば、某番組で宮本亜門さんと「ゆず」の人が喋っているのを観たのだが、亜門さんはあきらかに「愛の人」という印象がある。人生に対する復讐心などはなく、世界と他人と音楽を愛し、それらに積極的に関わってやろうという意志がバシバシ伝わってくる感じ。

世界には、こういう「愛の人」が確実に存在していて、わたしは彼らと、わたしたちのような「底辺のゴミクズ」との違いはなんなのかと不思議でならないのだ。



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