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2013.12.02 (Mon)

(Make it real loud)-NOTE

M ステでの LADY GAGA のパフォーマンスを繰り返し観ている。

やっぱりわたしは歌を聴くのが好きだし、Music video やアニメや特撮の Opening 映像といった「視覚と聴覚に刺さるような刺激」が大好きなのだ。

そういうわたしからすると、Free Novel Game も「もう『歌』で良いんじゃない?」という気分になってくる。これは別に、作品中に歌入りの Movie を挿入したいとか、背景で歌ものが流れ続けるとか、そういう意味ではまったくない。

一般的なノベゲのフォーマットから外れている、それこそ「歌」のようにしか思えない異質な作品があっても構わないではないかと考えているのだ。内容があきらかに短かろうが、文章を削ぎ落としすぎて抽象的世界に足を突っ込んでいようが、美しいと思えればそれで良い。

たかだか 4分ほど、歌詞の字数制限もあるなかで、それでも歌のなかに(音楽自体のチカラも合わせて)ひとつの物語を宿すことができるのだから、制作者が知恵を尽くせば、Free Novel Game のまだ見ぬ可能性を切り拓けるはずだとわたしは信じている。


(「もう歌になっちゃえ」とか考えていると、こちらのコミュ力不足でケンカ別れのようになってしまった「とおりすが Z」さんの言う「視覚表現と文章表現の融合」という理想形について、より深い理解を持てるかもしれないと思った。「正統派ではない、良いハミ出し方」という点では似たようなものだから)


結局、「ノベルゲーム」というフォーマットに拘泥している人々は、小説的表現の延長線上でしかノベゲを見れなくなっている。あくまで作品の軸となるのは「文章」だというわけである。

もちろん、フォーマットというものは無意味に湧いたわけではなく、先人たちが遺した数多くのアイディアや「発明」から合理的に組み立てられ成り立っているものであるから、それ自体を否定してしまうのは、あまりにも傲慢である。当然ある程度の「敬意 ()」は払うべきだろう。

だから、フォーマットに準ずる作品の存在も認めた上で、さらにそれ以外の新しい価値観をも受け入れられるような、ユルいギョーカイになってくれれば良いのだが。まあ、模範的作品を「推薦」とか取り上げているうちは難しいのかね。「推薦された作品のほうが価値が高い」と信じたいのが人情だものねー。


それにしても、ギョーカイ的にも「ぼっち」のわたしは、例えどんなにいけ好かない、つまんねえノリであっても、他人さまがキャッキャウフフしているのを眺めていると、なんだか自分の価値が疑わしく感じられて、うっかり死にたくなってきてしまう。

じゃあ止めれば良いのにと自分でも思うけれど、まあオバケ屋敷に入るような感覚だ、きっと。




それと、以前テレビで芸人さん(だれかは忘れた)が、クラブかどこかでスピーカーの前に陣取って「音楽を浴びている」のだと言ったらしい女子を笑い者にしていたのを見たのだが、わたしは彼女が間違っているとは思わない。

音は空気中を伝わる振動なのだから、イヤホンでちまちま「聴く」のではなく、身体全体で「感じる」のが正しい楽しみ方に決まっている。映画館とか気軽に行けてサイコーである。

まるで歌を浴びたかのような高揚感を与えてくれる Free Novel Game 作品が増えたら良いな。



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00:52  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

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 |  2013.12.02(月) 23:09 |  |  【編集】

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