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2013.11.14 (Thu)

本当は怖い 幸福の追求-NOTE

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治のことばは有名だが、わたしはこれに異を唱える。「例え世界ぜんたいが幸福でも、わたしが幸福でなければ意味がない」。生命の目的とはただひとつ、唯一の個人である自己の幸福の追求のみである。


「幸福」について考え出したのは『Monster』を観てからである。恥ずかしい話だが、mei さんにとっての『高校教師』のように、わたしに天啓を与えてくれた作品であるといえよう。

劇中、主人公のアイリーンは連続殺人の果てに死刑囚にまで行き着くわけだが、彼女は最後まで自分の信じた「幸福」のために行動し続けた。誤って凶器の拳銃を見てしまった善良なおじいさんに対して泣きながら謝罪して、それでも彼を殺さなければならなかったのは、恋人との生活を守るためだった。また、アイリーンも罪悪感に苦しめられたし、赦しのことばに縋ろうとしたこともあったが、それでも自分の幸福を手放そうとはしなかった。これは並の精神力ではない(皆に見下されてはいるが「道に立ち続ける娼婦ほど強い人間はいない」といった独白がある)。

アイリーンは恋人のセラヴィとの口論中、「自分は善人で、神を裏切ってもいない」といった発言をするのだが、これは偽りではないと思う。自分が置かれた状況のなかで精いっぱい足掻き、幸福を追求し続ける姿勢は正しいとしかいえない。

一方、アイリーンの元恋人であるセラヴィは(劇中のセリフからもわかるとおり)「だれかが自分を幸福にしてくれるだろう」といったような依頼心の強い女性だった。アイリーンと比べれば中途半端な人格ともいえるわけだが、それはまた、中途半端であるおかげで死刑囚にならなくて済んだということでもある。(わたしには、セラヴィのすがたは「一般的な善人」の限界を示しているように思えてならない)


ここまで読んで「他人を不幸にしてまで、自分が幸福になろうとするのはおかしい」と感じられた方もおられるだろう。だが、そもそも「幸福」というものは「道徳的な善悪を超えた領域にある」のだ。究極的には「このわたしが主人公であるわたしの人生において、わたしが」幸福であれば、それで良いのである。

例えば最近、地上波で流れている海外ドラマで『Revenge』という作品がある。過去、自分の父親を無実の罪に陥れたセレブたちに少女が復讐するという物語なのだが、セレブというからには復讐のターゲットは身寄りのない老人などではなく、社会的地位も影響力もある「投資顧問会社の経営者」や「次期大統領の噂も上がるほどの政治家」といった面々なわけである。当然、彼らの周りにはたくさんの人間がいて、ある意味での運命共同体となっている。ターゲットが社会的に失墜すれば、その混乱に巻き込まれることは免れない。

もちろん、主人公は聡明な女性なので、そこらへんの因果関係も理解しているはずだが、それでも父親の仇を討つため、容赦なくターゲットを追い詰めていくのである。これが「道徳的な善悪を超えた幸福の追求」のカタチである。

犯罪だろうが暴力だろうが欺瞞だろうが裏切りだろうが不誠実だろうが、人間世界に溢れるすべての事柄は「幸福の追求」あってこそなのだ。どんなゲスだろうがカスだろうがビッチだろうが、幸福を求める意志だけは聖人とも変わりないのである。

例え精神的に疲弊して「死にたい死にたい」と苦しんでいる人間であっても、絶望しただけでは心臓が止まらないことからもわかるとおり、精神の外側にある肉体は生きること、すなわち幸福であることを選んでいる。等しく例外はない。あるいは「諦める」ことですら、これ以上の状況の悪化を防ぎ、すこしでも幸福に近づこうとする足掻きなのかもしれない。


だがもちろん、幸福の追求の果てに「実際に幸福になるか」どうかは、また別の話である。というか、大抵の人間は道を間違え、手痛い結末を迎えることになるだろう。間違いのない人生などありえない。そして取り返しのつかないこともある。

だから「幸福の追求」とは、「この世にはきっと幸福というものが存在するに違いない」と信じて行動する、その様子でしかないのかもしれない。実体もない、確証もない、それでも幸福を求め続けるのは、やはりそれが生命の目的であるからなのではないだろうか。

(ちなみにアイリーンは最後、「(だれがなにを言おうと)この世の中心は空っぽだった」という事実を「発見した」のだと思う)

人間性のすべては幸福のなかに隠されている。わたしはそれが見てみたい。







高校教師』、名前は知っていますが、当時のわたしは小学校中学年くらいだったので、さすがに印象はありません。でも、mei さんの創作の背景にこの作品があるというのは、ものすごく納得できたり。

しかし、10年を経て観た続編にも満足できるというのはスゴイなあ。いまの時代には、さすがになんかマッチしそうもない気がしてならないですけど。なぜなら……







アンモラル香しい『高校教師』で思い出したけれど、「コドモもオトナも楽しめる」「ヒトを大事に思ってる」「そして自由で夢がある」でおなじみの BPO の存在がウザい。

というか、このスローガン、押しつけがましいにもほどがあるのですけれどお~!?



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