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2012.05.24 (Thu)

戦わずして すでに 「支配」していたッ!-NOTE

「Free Novel Game」の攻略について。

「のべるげ」の製作者さんは、自作品の攻略情報を、あまり積極的に公開しない印象がある。貧乏性なわたしとしては、何ヶ月もかけてやっと完成させた作品を、すぐに「消費」されてしまうのが気に喰わないのか、とも考えるけど、実際には「ネタバレ」を極端に忌避する文化が、その根底にあるような気がする。

これが他のジャンル、例えば「Role-Playing Game」だと、わりとしっかり攻略方法を載せていることも多い。それはやっぱり、「Role-Playing Game」が攻略を前提とした「ゲーム」だから、ということなのだろう。「ゲーム」で「先に進めない」ということは、(いくら「ヌルゲー」ということばがあったとしても)本来はあってはならないことだ。ある程度「自由度」に縛りのある作品なら、ひとつのつまずきが致命的なものになる可能性もある。そこでゲームを投げ出されてしまうのも、製作者にとってはツライことではないか。

そう考えると、攻略方法を「出し惜しみ」している製作者の意識は「ゲーム屋」というより、むしろ「物書き」に近いものなのではないだろうか。というより、そのものずばり物書き然としている製作者も多い。そして、物書き的製作者には「重要なネタが割れると、作品の価値が損なわれる」という、ある種の「強迫観念」じみた不安感があるのではないか。

でもまあ、その気持ちは判らなくもない。わたしにだって、自分の作品について、どこかミステリアスな演出をしたくなる感覚は容易に想像できるし、「感想文」で他人さまの作品を扱うときにしたって、「これはわざわざ書くべきではない」と判断する場面がある。多くを語りすぎることによって失われてしまうものは確かにある。

だから、「ある瞬間」までは、一切が謎であってほしい(=自分の思い描いたとおりに他人の感情をコントロールしたい)というのは、製作者の心情としては、決して間違ったものではない。いや、もしかしたら、もっとドライな「ただの損得勘定」かもしれないのだが。


そのような製作者側のこだわりも理解できる一方で、プレイヤーとして歯痒くなる場合もある。製作者はそもそも、自らが設定した難易度が「適切にチューニングされているか」どうか、真剣に考えてみることはあるのだろうか? 難易度の調整は、その道のプロである「商業ゲーム屋」ですら幾度も失敗することのある、大変難しい作業である。

これが例えば、選択肢のみの単純な分岐で Ending が決定するという程度なら、まだプレイヤー側の努力でなんとかなる。だがしかし、複数の要素が複雑に絡み合って進行しているような手の込んだ作品となると、もう努力でどうとかいっていられるようなレベルではなくなってくる場合がある。なにより、攻略にかける時間が惜しい。

かといって、Wiki のような「情報の羅列」を攻略としてしまうのは、味気ない。そして、前もって仕入れた情報を後追いするだけでは「体験」とは呼べない。「体験」を通じてしか「感動」は生まれ得ないのに。これも確かに、「攻略」を毛嫌いする一因ではないだろうか。作品をただ、意味もなく通り過ぎていくだけでは寂しすぎる。


だが、「体験」から得る感動を損なわない程度の、しかし的確な「攻略(あるいはヒントと呼んでも良い)」は、かならずあるはずだ。むしろ、その部分にもまた、「文章表現」や「ヴィジュアルの作り込み」とおなじくらい「センス」が光ると思うのだが、どうだろうか。

もちろん、ひとつの作品に対しての楽しみ方はさまざまだし、その「可能性」の部分を摘み取りたくない、という製作者さんの意向も判る。しかし、プレイヤー側に攻略の責任を「丸投げ」して、自分の役割はすべて済んだ、という顔をされるのもなんだか虚しい。いや、フリーゲーム製作者には、「料金を取るわけではないのだから、責任とかはカンベンねっ!」という必殺の切り札があるのは百も承知なのだが。


製作者の方には、ある意味でプレイヤーに寄り添うような「寛容さ」を持っていただけると、ありがたい。いちばん確実な「情報」を握っているのは製作者さんなわけだし、それを有効に使えるのもまた、製作者さんだけなのだから。



More ......



……で、なんでこんなことを書こうと思ったかというと『悲湯~遺伝子レベルの殺意』の攻略情報を求めて、検索をかけてくるひとがなかなか多いからだよッ!

逆にこっちが教えてほしいくらい、すでに「お手上げ状態」なのだから、わざわざ訪れてもらったとしても、ただただガッカリさせるだけでしょーが。


というか、おい、「Semmy」! やっぱりオマエの「思惑(みんながクチコミ的に攻略法を共有していけば、ゆくゆくは超有名タイトルに!)」は、見事に外れているじゃんか。わたしのところにたどり着くくらいなのだからさー!

くだらない理屈で練り上げた「ご自慢のポリシー」なんてさっさと解消して、攻略情報を広く公開しろよ、馬鹿!www





「製作者」>「製作者=物語世界のカミサマ」>「カミサマ=支配者」>「勝利して支配する! それだけよ それだけが満足感よ!」>「製作者は、はじめからすでに物語世界を『支配』している」

……遠いな。そういえば、荒木先生はむかし、「作者がキャラクタを完全に動かしているわけではなくて、キャラクタのほうに作者が動かされることもあるんだよー」とか、書かれていたような気がする。





10代の、「学生」としての道を踏み外した頃。


わたしは常に、「攻略本」片手に「Role-Playing Game」を遊んでいた。要するに、一周目ですべてを「体験」したかったのだ。イベントや宝箱など、なるべく取りこぼさないようにしたかった。

そうすると(もちろん注意はしているのだが)ふと、攻略本のいまは関係のないページ(先の展開とか)を読んでしまったりもしたし、攻略本の内容を追いかけるようにイベントを「こなして」いたりもした。

もちろん、そのときはそれが「最良のプレイスタイル」だと信じていたし、とくに苦痛を感じたこともなかった。


ただ、いつからか、そういうやり方をしなくなっていた。いまはただ、流れに沿ってフツーに遊んでいるだけだ。Wiki を見るにしても終盤の、どうしても他にやることがなくなったときくらいにはじめて手をつける。

いまも、「要素の取りこぼし」はなんだか損をしたように気分になるので気に喰わないのだが、それよりも、未知の世界にそのまま飛び込んで、新しい「刺激」の波に塗れるのが楽しいのだ。知らないことを知る喜び。それが例え「あらかじめ用意されているもの」だとしても。

それに、Wiki や攻略本で作品の全容を把握できてしまうと、なんだか急に興味が失せてしまう。しょせんは「情報」の堆積に過ぎないのだ、と思い知らされるというか。夢から覚めてしまうというか。

あと、裏技というか「ゲームを超有利に進められるテクニック」とかを知ると、またメンドくさくなったりとか。なにか、自分の手から離れていってしまったような、他人のものであるかのような気分になる。好きでやっているゲームくらいは、わたしの「個人体験」であってほしいのに。


って、イイ年齢こいて、いまだにゲームをしていること自体が間違っているのかな。



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03:15  |  +はしがき  |  Trackback(0)  |  Comment(1)

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 |  2012.05.27(日) 19:16 |  |  【編集】

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